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シュルナク町ツアー

フィニク遺跡では、ギュチュルコナク区の現ダムラルジャ村にある内城、外城が見られます。この遺跡は、ジズレ・シュルナクの分岐点から12キロメートル離れたチグリス川北部、現ギュチュルコナク区に向かう幹線道路の上方にあります。外城では城壁跡が南北に伸びています。この地域は一般的にフィニクと呼ばれ、チグリス川と渓谷を見渡す場所にあり、古い集落が広がっています。そのうちモスクは、すぐ先の岩場から流れる川の西側に築かれています。川の西には擁壁と平地が築かれています。この領域はモスクの北側にあります。川の両側には様々な遺跡や洞窟があります。モスクは現在、ギュチュルコナク幹線道路の脇にあります。
シュルナク県ジュディ山、ジズレ町、カスリク町(王の峠)地域で見つかったレリーフには、アッシリア、グティなどの6000年前にこの地域で栄えた帝国の皇帝や馬の姿が彫られています。この地で見つかった彫刻も、ササン朝ペルシャのアルダシール1世、シャープールの世界遺産ターク・イ・ブスタン、ペルセポリスのナクシ・ルスタム、ホスロー2世の岩のレリーフにもとても似ています。ジズレを一時包囲したアルダシールが、カスリクと同様あちこちの川岸や渓谷にこうしたレリーフを作らせていたことがわかっています。
ジズレ・ウル・モスクは、ジズレ中心市街地のダーカプ地区にあり、様々な時代に修築や増築が行われて今に至ります。このモスクの出入りは四方からの道に限られています。最初の建物については確固たる情報はありませんが、モスクにある8つの碑文には、エジプトのアタベク君侯国(1155~1160)によって建立され、1203年から1284年にかけて修築されたことが記されています。直近の修復は2007年にワクフ総局によって行われました。現在イスタンブルのトルコ・イスラム美術博物館に所蔵されている鉄門の竜の姿のノッカーで有名です。現在も礼拝に開放されているジズレ・ウル・モスクは、この地域で特に重要でユニークな建物です。
ヤフェス橋は、ジズレにあるとはいえ、川床がずれたために今はシリア内にとどまっています。ジズレ東部にあり、資料ではイブン・オマル橋、またはヤフェス村にちなんでヤフェス橋と呼ばれており、地域の人々はバフィド橋と呼んでいます。今は大きなアーチと数か所の足のみが残っているこの橋は、12世紀に、セルジューク朝のアタベイ君侯国が築いたことがわかっています。完璧な石細工を見せつける橋の構造は、詰め物として石灰モルタル、コーティング材としての大きな玄武岩の切り石が用いられています。中心は大きな、端は小さな尖ったアーチ5本でできています。
赤いメドレセは、ジズレ君侯国の2代目シェレフ・ベクによって14世紀に建立されました。赤いレンガでできているのでメドレセ・スル(城壁)と呼ばれました。当時の地域の学者が育った高等教育機関でした。ミフラーブ(礼拝の方向を示すモスク内のくぼみ)は白い石でできており、大きさは2.82×3.78メートルです。メドレセの南側の中央には、逆さまのドーム型をしたシェイフ・アフメド・エル・ジェゼリの墓廟があります。
メモ・ジンは、ジズレ南部のダーカプ地区にある墓地内にあります。このメドレセは1437年にアミール・アブダル・イブン・アブディラハ・セイフェッティン・ボフティによって建立されました。今も残っているのはマスジド、陵墓、メドレセの部屋が一部屋、中庭に出るための出入り場、イーワーン(イスラム建築のホール)です。メドレセの東と西にあった部屋は、わずかな跡のみが今も残っています。北側に80部屋があったかどうかというところです。後世になるとここに礼拝所、モスク、シャドルヴァン(噴水つきの東屋の形をした建物)が増築されました。中庭から墓廟へは9段の階段を下ります。この墓廟は、東西にのびる長方形をしており、上方は同じ方向の尖ったヴォールトで覆われています。中は北側の窓を開けて明るくします。この墓廟には3つの墓があります。

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