ルート
スィイルトの街を巡るツアー
メソポタミア北部とアナトリアの民族が混在する地域に生まれたスィイルトの歴史は、新石器時代の始まりである1万2000年前までに遡ります。
スィイルトは、とても古い歴史をもっています。スィイルトで行われた考古学調査、発掘、その他科学的調査の結果、メソポタミア北部とアナトリアの民族が混在する地域に生まれたスィイルトの歴史は、新石器時代の始まりである1万2000年前までに遡り、銅器時代、青銅器および鉄器時代に定住化したものと分かっています。自然の美しさ、歴史的遺産、この地に生まれた聖人たち、預言者アシュウ・ヴェイセル・カラーニ、イスマイル・ファキルッラ、天国の声を聴く者、アブドゥッラ・ビン・アヴフ、ハズィレティ・アリの子どもたちの一人であることが分かっているムハンマド・ビン・ハニフェ、イブラヒム・ハック、スルタン・メムドゥフ、ムハンマド・エル・ハズィン、そして多くの偉人の生きた場所、南東部で見つけられることを待っている宝物のような町です。
預言者ムハンマドの賞賛を受けるに値する母への愛、道徳のシンボルであるヴェイセル・カラーニもまた、私達の県が誇るべき人物の一人です。バイカン市の町、ジヤレットに居たアリの息子ムハンマド・ビン・ハニフェ、生前、天国の声を聴いたとされる幸運な人物の一人であるアブドゥルラフマン・ビン・アヴフ、その他何千人もの人物が、私達の県の精神的地図の礎となった人々なのです。これらの人物がより広く紹介されれば、今日のトルコ観光において重要な役割を担っている聖地巡礼の観点から見ると私達の県が如何に価値ある土地であるかが、間違いない事実として認識されることになるでしょう。
これらの他、県中心部ではジュムフーリイェット・ジャーミィ、シェイフ・エル・ナッジャールの墓、アユン・サリップの泉、シェイフ・エブル・ヴェファの墓、プナルジャ・ホユック遺跡、バクル・ホユック遺跡、シェイフ・ムサの墓、ハン(かつての隊商宿)、城、造幣局跡、当地特有の家屋などを見ることが出来るでしょう。
ティッロ市では、ゼムゼミュル・ハスヤの墓、チレハーネシ、スルタン・メムドゥフの墓、シェイフ・ハムザ・エルケビル、シェイフ・ミュジャーヒット、フェルサフ村のシェイフ・ムハンマド・エル・ハジンの墓、チャトゥル村のシェイフ・サイトの墓、バイカン市ではソルハン城、アダカレ村では墓所および城、チャルプラン橋、シェイフ・オスマンの墓およびデルジン城
私達の県のバイカン市の南西8Kmに位置するヴェイセル・カラーニ地区にある14世紀の歴史を持つ墓は、聖地巡礼の観点から見れば重要なポテンシャルを秘めているのです。
スィイルトのバイカン市に帰属する、ヴェイセル・カラーニの墓のあるヴェイセル・カラーニ地区再開発プロジェクトは、女性生活センター、図書館などを整え、聖地巡礼の中心市街地となることを目標としています。預言者ムハンマドの賞賛を受けた母への愛、道徳のシンボルとなったヴェイセル・カラーニの墓の周辺は新たに整えられ、安らぎの場として訪れる者たちの心を癒しています。ヴェイセル・カラーニの墓及びキュッリエは、毎年何百人もが訪れる場所となっています。
毎年、5月の第2週には母の日に「ヴェイセル・カラーニを偲ぶ、母の日」というイベントが開かれています。
偉大な神学者であり天文学者であったイブラヒム・ハックの墓のあるティッロ市では、聖地巡礼に向けた取り組みの他、イブラヒム・ハックが科学分野に残した功績を次の世代まで伝えるため、県による取り組みが行われています。
ティッロ市では、訪れる観光客が泊まれるような宿泊施設が建設されていますが、同時に、この地域独特の建築様式の家屋は保存されるよう注意が払われ、私達の市が本当の意味での観光地となれるよう努力が続けられています。
県によって2013年にはイスタンブルにあるミニアチュルクに、イスマイル・ファキルッラ、イブラヒム・ハック、そしてヴェイセル・カラーニの墓を模した建物が設置され、訪れる人々からご覧いただけるようになりました。
市のハッサ・ハトゥン地区に訪問客が休憩できるような新たなポイントとして生まれ変わりました。ハッサ・ハトゥン地区の整備の結果、聖地巡礼の目的地として盛り上がりを見せています。
スィイルトのティッロ市では、より多くの観光客を呼び込むための観光インフラを整える目的で、3百万ユーロもの資金が投入されました。
スィイルト県の後援で、毎年9月21日~23日には、「ティッロ太陽現象・科学と文化の日」というイベントが開催されています。スィイルトのティッロ市では、イブラヒム・ハックが「我が師の枕もとを照らさない太陽は要らない」と言い、256年前に師であったイスマイル・ファキルッラの枕もとをテラスために考案した仕組みは、UNESCO世界遺産暫定リストに2015年に選定されました。イブラヒム・ハックが、その師であるイスマイル・ファキルッラが亡くなった際、その墓のために考案した光の仕組みにより、毎年3月21日の春分の日と、9月23日の秋分の日には、太陽が昇ってくる時の最初の光が先生の枕もとを照らすようになっています。
ウルジャーミィが造られたのがいつなのかは明確には分かっていません。1129年にセルジューク朝のスルタンであったムグジッディン・マフムト・パシャが修理を施したことは知られています。その後、ジズレの統治者だったエル・ミュジャヒット・イスハクによって増築がなされたとされています。こちらのジャーミィの演壇には芸術的価値があることから、アンカラ民俗博物館で展示されています。
様々な文化と文明が深い爪痕を残すスィイルト県は、他に類を見ない自然の美しさと、トルコにとって大変重要な食文化を持つ県です。豊かな食文化を持つスィイルトにおいては、特に肉、野菜、豆、そしてトマトやトマトペーストを用いて作られる料理が最高です。
スィイルトは、その恵まれた地理条件により、本物の食材、美食を味わうことの出来る場所となっています。スィイルト地方の料理と聞いて初めに頭に浮かぶのは、ペルデ・ピラフとビリヤニでしょう。これらに加え、スィイルト・キョフテシ(キテル)、ブンバル(ジョカット)、ヨーグルト入りキョフテ(キフテル・レベン)、ニンニク入りキョフテ(キテル・フム)、ペクメズ入りのスイーツであるヴァラック・ケーク、アスィデ、ラヨシュ、メケティップ、イムチェルケットは、スィイルトで食べられる美味しいものの一つです。
ボタンの谷で最も美しいと称されているラスル・ハジャルも、絶対に見るべき場所の一つです。多くの民謡の題材となっているボタンの川が流れる谷は、ラフティングやパラシュートといったアクティビティにもってこいの美しい景観となっています。ボタンの川を見下ろすティッロ市の高台、カラトゥル・ウスタッドにあるジャム・セイル・テラスは、ボタンの谷を見渡すことの出来る絶景ポイントとなっています。
世界の民族の歴史に爪痕を残し、世界史にも影響を与えたアナトリアとメソポタミアの民族たちが混在した地域であるスィイルトは、一つ一つがそれぞれに美しい渓谷、その美しさから多くの民謡や伝説の題材となってきたボタンの川、謎を秘めた洞窟、効能を持つ温泉、蜂蜜、そしてこの地域に生きた科学者、精神学者など、間違いなく訪れる価値のある場所です。高原や豊かな大地で育つこの地域特有の植物である逆さチューリップもまた、観光の目玉となるでしょう。高原ツアーと名打って始められた取り組みは、今後間違いなく成果をあげると期待しています。
エルフ市では、ゲッレ・ハン・オルマナルドゥ橋、多くの城、メドレセスィ、そして町の遺跡。
クルタラン市では、遺跡、ハズィレティ・スレイマン城、エヴジレル村の貯水池、岩の墓、ガルザン城、シェイフ・セルマンの墓、エルゼン・シェヒルの遺跡。
シルヴァン市では、コルマス城、イルン城、ムハンマド・エブ・ハニフェの墓、シェイフ・ヒュセインの墓、教会、メドレセスィ、橋の遺跡、その他にも沢山、文化的価値を持つポイントがあります。私達の県は、観光的観点から見れば重要なポテンシャルを秘めています。このポテンシャルを是非有効活用すべきだと信じています。道のりは長いですが、明るい未来が待っているはずです。まだこの取り組みは始まったばかりなのですから。
若い世代の人々に、山や、山のスポーツに親しんでもらうため、2001年以降、私達の県では傾斜滑降パラシュートが行われるようになりました。
人がパラシュートをしたがる理由は様々です。良いパイロットになり大会に出るため、飛ぶことへの憧れ、自信を持つため、高所恐怖症を克服するため、自然とより一体となるため、趣味、飛びたいという情熱、新しいことを始めたい、こういった理由が主でしょう。目的が何であれ、このスポーツを安全に楽しみ、上達するための一番の方法は、1回ごとの飛行で新たなことを学んでいくことです。
スィイルトを文化的に、かつスポーツ分野で斡旋していくのに重要な役割を担っているパラシュートを、県全体に広め発展させること、新たな飛行区域を作っていくことで、このアクティビティが確実に安全にとりおこなわれるようにすること、そのために「パラシュート整備組織」が結成されました。
スィイルトでは、毎年パラシュートがますます楽しまれるようになり、滑降数も増えており、民謡の中で唄われるほどに美しいボタンの谷の素晴らしい渓谷を、世界に紹介していきたく思っています。スィイルトの中心市街地、デイル地区で行われているパラシュートスポーツは、私達の県の自然と親しむツアーに恰好のスパイスを加味してくれていると考えます。飛行する際の最重要事項は事故無く、安全であることです。